厄年はその人の数え年をさして、2月4日(立春)から翌年の2月3日(節分)までを
一年とし、前厄・本厄・後厄の3年間をさします。 また、厄年は、9年周期に運気が回ってくるのです。 その反対に良い運気も9年 周期に、すべての人にめぐって来ます。 画数の弱い、とくに大凶の4・9・10・19・20・34を持っている場合、その人に 凶運があたりやすいわけで、逆に大吉11・15・16・24・31・41を持ち 合わせた場合、大難が小難に、小難が無難にと厄を逃れ、強運のラッキーな運勢 をつかめるとされています。 あなたの厄年は? |
生まれ年 | 数え年 | 満年齢 | ※通説備考 | 生まれ年 | 数え年 | 満年齢 | ※通説備考 | ||
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平成26年 | 3才 | 2才 | 男女共通 | 昭和59年 | 33才 | 32才 | 女の大厄 | ||
平成24年 | 5才 | 4才 | 男子のみ | 昭和55年 | 37才 | 36才 | 女の小厄 | ||
平成22年 | 7才 | 6才 | 女子のみ | 昭和50年 | 42才 | 41才 | 男の大厄 | ||
平成16年 | 13才 | 12才 | 男女の厄年 | 昭和43年 | 49才 | 48才 | |||
平成10年 | 19才 | 18才 | 女の厄年 | 昭和31年 | 61才 | 60才 | 男女の厄年 | ||
平成 4年 | 25才 | 24才 | 男の厄年 | 昭和15年 | 76才 | 75才 | 男女の厄年 |
厄年の前に御自分の大切な人に『吉相印鑑』を!名前に凶数を持つと災難に遭う確率が高いとまでいわれます。ならば、月1回お家で大事な方の健康祈願が出来る!
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「弘法、筆を選ばず」の弘法大師の空海が和歌山県の高野山に真言宗の総本山となる金剛峰寺を
建て、真言密教の根本道場を開き立教をしたのが、816年で、それは空海の43才の時であった。 弘法大師が厄除け大師として崇拝されているのは、まぎれもない事実である。 |
天台宗の開祖、最澄は、804年、39才の時に桓武天皇の援助のもと、空海と共に唐に渡り、中国 の天台教学を学んだ。 一年後の805年、滞在中書写した経典類二百三十部四百六十巻を携え 帰国。 その当時桓武天皇は病床にあったので、最澄は宮中で天皇の病気平癒を祈った。 そして、806年最澄の開いた天台宗に正式に僧が割り当てられ公認されたのが、最澄の41才の 時だった。 |
浄土宗の開祖、法然は、1133年美作の國久米南条稲岡庄に生まれた。13才で比叡山に登り天台
教学を学び、15才の時戎壇院で僧となった。1175年頃、専修念仏に帰依し、師の叡空のもとを 離れて比叡山を下り、東山大谷(現在の京都智恩院)に居を定め浄土宗を立教開宗した。 このとき法然は43才であった。 |
浄土真宗の開祖、親鸞は、1173年下級貴族日野氏の家に生まれた。9才で比叡山に入る。
29才のときに聖徳太子の夢のお告げが下り、比叡山を下山して法然の弟子となった。 1214年、「布教伝導こそが道である」とし、常陸の國に移りすむ。それは、親鸞にとって 信仰上の大きな転換期となったが、この時の親鸞は、まさに42才であった。 親鸞はあくまで師法然の弟子の立場で立教改宗せず。 |
曹洞宗の開祖、祖師・道元は、内大臣久我通親の子として1200年に生まれた。13才で出家の志
をもって比叡山に入山し、14才で得度する。1223年には宋に渡り、中国の天童山景徳寺で修業 し、1227年帰国する。中国にも曹洞宗という宗派は存在しており、道元は宗派を開いた意識は 持たなかったが、道元が越前志比庄で禅の道場としての永平寺を開いて、弟子の教化を始めた のが、1243年で、このとき道元は44才であった。 |
日蓮宗の開祖である日蓮は、1260(文応元)年『立正安国論』一巻を前の執権北条時頼に送り、
仏教の正しい教えをゆがめた法然浄土教が流行しているのを幕府に禁圧をするように主張。 世間を騒がしたと伊豆の伊東に流された。それは日蓮が数えで40才のとき。その流罪から二年後 の1263年、赦免を受け鎌倉に戻ってきた。 日蓮が42才のときである。その間、弟子の日朗が 伊東の波間に浮かぶ木を手にいれ、その木に日蓮の姿を刻み、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えて 日蓮の赦免を願ったという。その像は「厄除け祖師」と呼ばれるようになった。日蓮の立教開宗は 1253年で、女の大厄にあたる32才のときであった。 |