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日本民族の歴史は、ひとつの印鑑から始まった。すなわち日本人の文明は西の方角、
つまり九州の北半部を中心にひらけた。 それは、中国の史書「後漢書」に記された金印「漢委奴国王」の存在によって証明される。 これは、今から226年前[1784年]、日本の古代史研究に大きな問題を投げかけた一つの 金印だったのです。それは、天明四年二月二十三日のこと、甚平さんという農夫が九州の 博多湾の向こうに浮かんでいる小さな島「志賀島」(シカノシマ)の叶の崎(カノサキ)で石の下から 親指の先ほどの小さな彫りものを掘り出しました。それを水で洗うと金色にさんぜんと輝き 出したのです。その金の彫りものは、印鑑らしく、左文字で「漢委奴国王」という文字が彫られていることが、黒田藩のお抱えの漢学者の知るところとなって大騒ぎ。 |
中国(漢代)の「印綬」の形式にほかならない、今から2000年程前・建武中元二年(57年)に後漢の
光武帝からの「贈り物」だったのです。この「漢委奴国王」印が日本の印鑑の始まりといえるのです。
また、「景初三年(西暦239年)邪馬台国(ヤマタイコク)の女王・卑弥呼(ひみこ)に魏の明帝が贈った
金印紫綬・「親魏倭王」、ならびに、遣使の難升米(ナソメ)にあたえた銀印青綬がありますが、これらはいまだ、発見されていません。
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●天皇の印鑑「御璽(ぎょじ)・国璽(こくじ)」信長印 ・ 秀吉花押 「天皇御璽」は詔書や勅語の最後のところに、
天皇陛下がご署名され、その下にバンと
押された印鑑のことです。
「璽」は、しるし=印鑑=印章=印のことですが、秦漢以降は、とくに天子の 実印にたいして呼ばれるようになりました。 「御璽」は天皇の実印、「国璽」は国の実印、というわけです。天皇御璽 のもとは、大宝律令(七〇一年)に始まって、わが国の印の歴史は、正式 にはこの大宝律令による印の制度から出発するわけです。 ●徳川家康の「福徳」の印他なお、この時代は角型や変形印(謙信の印)を用いる人が多かったなかで、徳川家の各将軍が円形を使用した事実は、そこに深い意味を感じます。 徳川歴代将軍の印が、天皇の御璽に代わって公事の用に使用されました。そのため、仁安二年に ご使用の「天皇御璽」の印を、そのまま明治の初めまで用いてきたありさまでした。 |